幸せの向こう側〜心はすべてを超えている〜

頭を使わず心を使っている人を天才と言います。

心の本音


頭と心の違いについて書いてみよう。





頭とは


今までの経験体験してきたこと、いろいろな情報や知識から考えそれを基に行動している自分。

簡単に言えば自我と表現されている部分。





心とは


本音の自分。感情が発生するところであり、自分の人生を支配しているところ。

元々はフラットな透明エネルギーなのだが、人生経験を通し観念エネルギーというものを創り何層にも積み重ねている。





自我というのも本来は心ちゃん。

この世を心ちゃんのみで生きるにはあまりにもリスクが高く、自分を守る為に創り出したエネルギー。

いつしかその自我で生きる事が当たり前となり本来の自分(心)を忘れ、分光である自我の方を自分だと認識し生活している状態。



そこに観念エネルギーもありどれがどれだかわからず反応のみで生きている、以前の自分はこんな感じでした。





ちなみに観念エネルギーとは、幼少期などに経験した


辛い 悲しい 寂しい 怖い 劣等感 罪悪感 嬉しい 楽しい よろこび 優越感 感謝  etc...


などの強烈な感情が癒されてなくそのままの状態で大人になってもずっと残っている状態。



これと信念が人生(体験)を支配している。




自分の人生を少し振り返ってみればよくわかるが、同じような現象を繰り返し体験している事に気づくと思う。



この観念エネルギーの心ちゃんに寄り添い癒してあげればその体験をする事はなくなります。


これは自分の実体験から間違いないです。




心ちゃんからすると


いろいろな知識を上から被せたり、陽の体験で一時期の現実逃避をするよりもまず第一に寄り添い癒やして欲しい!


っていうのが本音だと感じます。



心ちゃん達は知っているんです。

今までは自分ではどうする事も出来なかった観念エネルギーを癒す事が自分自身で出来る時代になっているという事を...



その為にいろいろな辛い現象や苦しい現象、怖い現象を起こし頭さんにこれを気づかせてる...


ただそれだけ

そんな感じがします。


心ちゃんからすればそうするしか方法がないから...。





癒すとは、その感情に寄り添い心ちゃんの欲求である


認めて欲しい


愛して欲しい


わかって欲しい


を頭さんが叶えてあげる


ただこれだけの事。








今日は誰かの心ちゃんに書かされてる...

そんな感覚です。





最後に

心ちゃんに寄り添うとは


転げて怪我をした我が子に

「痛いね〜痛いね〜」

と共感する感覚で自分の心ちゃんの感情に寄り添ってあげる事(辛かったね〜苦しかったね〜さみしかったね〜悲しかったね〜怖かったね〜)を指してます。

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